少女の独白

─ スヴィドリガイロフおじさんに ─

堀場康一


「奇妙で滑稽なのは、おれがだれにたいしても
 まだ強い憎しみを持ったことがない点だ。」(注)



 スヴィドリガイロフおじさん、おじさんは天国でどうしていらっしゃるのですか。

 おじさんがいなくなってから、わたしはさびしいやら退屈やら、なんだか自分でもわけがわからなくなって、無味乾燥な日々にあけくれています。

 わたしはおじさんにもっと生きていてほしかった。自殺なんかしてしまわないで、もっともっと生きていてほしかった。おじさんが天国に行ってしまって、もう会ってのんびりとお話することもできやしない。それに、毎日つまらないことばかり。わたしはどうすればいいのかしら。

 おじさんはいつもわたしをかわいがってくれた。わたしをからかったり、ときにはしかったり、でもわたしはおじさんと一緒にいるのがとてもうれしかった。いつもはいらいらして落ち着きのないわたしも、おじさんといると何となく心が落ち着いて気楽にすることができた。うそなんかじゃありません、本当なんです。

* * *

 わたしの友だちはおじさんのことよくは言わないけれど、わたしはそんなふうに思いたくないんです。おじさんのことで友だちとよく口論したけれど、友だちがおじさんはいい加減な人間だとめちゃくちゃに言うようなことがあって、そんなときわたしは、おじさんは本当はとってもいい人なのよって大声で言ってやった。でも誰も聞き入れてはくれやしない。

 口にするのはつらいけれど、みんなはおじさんのこと、たちの悪い放蕩者だと決めてかかっているんです。だけどそんなにひどく言われたら、わたしだって黙ってはいられない。好きな人を追いかけるのがどうしていけないのか。好きな人に好きだと告白するのがどうしていけないのか。好きな人といつだって一緒にいたい、しっかりと抱きしめていたいと思うのが自然ではありませんか。

 おじさんはそのことを誰にも隠そうとはしなかった。心の内をさらけだして、無邪気に女の人を追いかけていた。それがどうしていけないのですか。

 わたしにはわからない。何もかもがわからない。どうして自分の心を偽らないでいることがいけないことなのかしら。好きなような素振りをみせてそれとなくつき合っている人たちよりも、おじさんのほうがずっと真剣で本気で──わたしにはそう思えてならない。そうにちがいないんです。

* * *

 わたしにはおじさんの思いつめた表情がありありとわかるような気がします。おじさんはときおり苦悩を顔じゅうにただよわせて、わたしの前にあらわれるようなことがあったけれど、そんなときおじさんの顔を見つめていると、わたしはたまらなく悲しくなってしまって、おどおどするばかりだった。

 おじさんはとっても優しい人なのに、どうしていつまでも卑怯者呼ばわりされなければいけないのですか。おじさんだけが悪いことをしているように言われる。でも、おじさんだけが悪いんじゃない。みんな悪いんだ。みんな罪があるんだ。

 自分はそんなことをしてはいないと言いたげな、善人づらをした人たちの話を聞いていると、わたしは無性に腹が立つけれど、わたしには何も言えそうもない。だって、わたしだって……このわたしだって……。

 わたしは何も口に出さないで、おじさんの悪口を言う人たちの得意げな顔を、ただ伏し目がちにながめているだけ。──わたしは臆病な女なのでしょうか。

* * *

 おじさんがアメリカへ行くといってピストル自殺したという話を聞いたとき、わたしはにわかに信じられなくて、そんなのうそでしょうと言い返してやった。でも、あとでおじさんが本当に死んでしまったことがわかったとき、わたしはどうにも悲しくなって取り乱してしまい、おろおろと涙を流すばかりだった。家族やみんながわたしをなぐさめてくれたけれど、わたしはどうすることもできなくて、そのまま急いで部屋に閉じこもってしまった。ひとりっきりになるとおじさんの人なつっこい笑顔ばかり頭に浮かんできて、その日はやりきれない思いで眠られぬ夜を過ごしたものでした。

 翌朝目がさめたら窓からさわやかな日ざしが差し込んでいて、きのうあれほど悲しんでいた自分がどこか遠くへ行ってしまったみたい、わたしは思わず恥ずかしさで胸がいっぱいになっていた。するとどこからともなく悲しみが押し寄せてきて、胸がきつく締めつけられるような気がした。みんなと顔を合わせるのがおっくうで、それになんとなく気が進まなかったので、わたしは窓際に腰を落ち着けてぼんやりと外の景色をながめていた。

* * *

 おじさんはどうして死んでしまったのですか。やっぱり負けてしまったんだ。でも何に負けたのですか。わたしには納得が行きません。

 おじさんは、ラスコーリニコフという人はあまりに生きることに執着がありすぎる、なんて強がりをいってみせたけれど、本当はおじさんだってもっと生きていたかったんだ。どうして本当のことを言ってはくれなかったのですか。おじさんはわたしに、こうして生きているとつらいことも多いが、やはり生きているのはありがたいものだと、よく話してくれたのに、そのおじさんが死んでしまうなんて、……ああ、わたしにはわからない。

 おじさんはあの人が本当に好きだったんでしょう、心から愛していたんでしょう。みんなはあんなのは遊びだって言うけれど、わたしにはそうは思えない。本気であの人を愛していた、そうにちがいない。

 あの人に拒絶されたから、おじさんは死んじゃったのですか。そうかもしれない。でも本当にあの人が好きなのなら、たとえ拒絶されても生きているべきではありませんか。それが愛というものではありませんか。愛は傷つきやすく、というような、そんなセンチメンタルなものじゃないはずです。

 でも、おじさんはもういない。本当のことはやっぱり、おじさんにしかわからないのでしょうね。……でも、生きていてほしかった。

* * *

 こうしてあてどもなく物思いにふけっていると、何だかわけがわからなくなってしまいそう。ひょっとしたら、わたしはおじさんのことが好きだったのかもしれない。恋していたのかもしれない。

 そう、そうなんだ、わたしはおじさんがとっても好きだったんだ。おじさんはわたしのことあまり気にとめてはいなかったかもしれないけれど、わたしはおじさんがとても好きだった。いなくてはならない人だった。

 少女趣味だなんておっしゃらないでください。わたしだって、心から愛していた……。

 でも今は、何もかもすべて過ぎさってしまいました。いまさら過ぎた日のことを思い出しても仕方がないのでしょうか。

 わたしたちは仲のいい友だち同士にすぎなかったのかもしれない。なんとなく気が合って、心が落ち着いて、……そう、それでよかったんです。

 くよくよするのはもうやめにします。おじさんをこれ以上悲しませたくないから。それに、こうしておじさんのおもかげを追いかけて物思いに沈んでいても、どうにもなりはしない。おじさんがふたたびわたしの目の前にあらわれるわけでもないし。

 おじさん、あなたの瞳は優しくかがやいていましたね。これだけは忘れられそうもない、決して忘れません。おじさんのような人にめぐりあえるように、わたしも町々へ飛び出していこうかしら。……でも、わたしにはどうすることもできやしない。いいえ、なにもしたくはない。ただこうして、窓の外をじっと見つめていたいんです。

* * *

 おじさんは天国でいらいらしながら、わたしのひとりごとに耳を傾けていることでしょうね。わたしのとりとめのないおしゃべりもそろそろおしまいにしないと。

 わたしだっておじさんがいなくなって、さびしくて、悲しくて、それにもどかしくて仕方がないんです。おたがいさま、わたしもあきらめのわるい人間です。

 でも、このままだと破滅してしまいそう。いつまでも気を落していないで、自分のことを考えなくてはいけないのかもしれない。

 おじさん、どうかわたしをいつまでも見守っていてください。わたしだって……そう、わたしだって……いつかきっと……。

(了)


(注) ドストエフスキー『罪と罰』第六部六章のスヴィドリガイロフのせりふ(江川卓訳)。


付記

 松尾一廣さん編集・発行の文芸誌「CATALYSE」3号(キャタリーズ、2000年10月10日発行)にこの詩を投稿、掲載していただきました。
 この詩は、「少女のひとりごと」として1973年9月頃に書き綴った文章がもとになっています。二十代初めからこれまでに書いた詩の原稿を整理していて、たまたまそれを見つけ、一部修正して仕上げました(主語を「あたし」から「わたし」に変更、など)。
 この詩「少女の独白─スヴィドリガイロフおじさんに」は、ロシアの作家ドストエフスキーの小説『罪と罰』(1866年)の邦訳を読んで、その感想にもなっているかもしれません。
 『罪と罰』の登場人物の一人であるスヴィドリガイロフの親戚もしくは知人に、このような少女がいたとしても不思議ではない──そんな気持ちで、この少女の独白を書き綴りました。
2006/06/15


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