地 下 鉄

堀場康一


ぼくは今日もあやうく
鈍い銀色の電車に駆け込んだ
ホームの向こうでは眠そうな大人たちが
電車を待ちながら
気ぜわしくたばこをふかしている
何のためになどと考えることはもうあるまい
いつものように車内を見回すと
色とりどりの広告がぺたぺたとはられている
人目を引きつけるための手の込んだデザイン
見出し
絞り出された知恵
もうどれくらい同じものを見たことだろう

ところできみは地下鉄に乗ったことがあるかい
誘惑的な地上の景色からは遠く離れて
ぼくらは隔離されたトンネルのなかを
操り人形のように運ばれて行く
地震が来るとこわいからなどと
臆病風はふかさない方がいい
暗闇をいきおいよく走り抜けるときの
モノクロームの旋律が気にかからなくなったら
きみはもう十分に地下鉄人種だ
窓に映るうつろな影をながめていれば
あとは何も思い出さなくていい
目をつむって腕を組んでいれば
あとはほんの少し待つだけでいい

もうどれくらい
同じフレーズを繰り返したことだろう
あのひとがどこを向いているのか
ぼくにはわからない
ぼくはガラス越しの人生に耐えられるか
はりさける静けさに耐えきれるか

ぼくのちぐはぐな運命よ
おまえはいつも道草ばかりくっている
夜明けの町はおまえにはまぶしすぎるのか
それとも都会の不眠症が
おまえの両足をもつれさせるのか
ぼくは数かぎりない夢やまぼろしを
食いものにした
だがなんというざまだ
ぼくをひきつけたものはいつも
足早にぼくの目の前を通りすぎて行った
ぼくは大声で叫ぼうとしたのだが
かんじんの声が出なかった
それ以来ぼくは口をつぐむことを学んだ
ぼくの耳元でポリフォニックな合唱が始まる
どれもこれも思わせぶりなうたい声だが
紋切型なのか調子外れなのか
よそよそしいのかぎょうぎょうしいのか
ぼくのこころはぼんやりまどろんでいる

いったい風化してゆくものを
ほじくり返す必要があるのか

ぼくはたしかに
まるい水平線の透明なあおさを見た
ぼくはたしかに
はるかにゆらめく海のつぶやきを聞いた
ぼくはたしかに
とろけるような花のかおりをかいだ
ぼくはたしかに
やわらかな肌のあたたかさにふれた

いまぼくは運命の切符を持っている
どこで手に入れたかなんて
聞かないでくれたまえ
ぼくをとまどわせたくなかったら
とっくみ合いをしたくなかったら
灰色にかすむビルの町を歩いてみるといい
見え隠れする太陽にさりげなく挨拶するといい
自動車のたえまない交差点に立ちつくすといい
夕暮れの買物街に目をしろくろさせるといい

まもなく駅でございます
みなさま雨の日はもの忘れが多うございます
もう一度網棚や身の回りの小荷物を
お確かめください
まもなく駅でございます

聞きなれたアナウンス
通いなれた電車
ぼくははるかなゆらぎを感じながら
見えない人を待ちかねる
これからどんな時代が訪れるのだろう
朝もやの時代? 昼下がりの時代?
それともたそがれの時代?
ぼくは過去と未来にはさまれて
どこへ行こうか決めかねる

さてのらりくらりと腰を上げるとしましょう
日の落ちるまで仕事に精を出すとしましょう
電車が洟をすすりながらホームへすべりこむ
天気予報はあたるでしょうか
――ぼくは扉が開くのをじっと待つ



 詩集『ボストンバッグ』目次

 Copyright (c) Koichi Horiba, 1996