Rへの便り

堀場康一


見えない気持ちでゆらゆらと
アスファルトの日向に立ちどまっていると
聞きおぼえのある足音がにわかに
ビルの影から駆け出してくることはないか
あるいはすりきれた歩道に交叉する
よどみないおしゃべりの向うで
見おぼえのある物欲しげな眼差しがひそかに
ビルの上をふり仰いでいることはないか
振り子が逆立ちしたままのうつむいた姿勢は
未知を予告するのには不向きかもしれないが
ふわふわのおもかげを噛みしめ
歩きなれた白い道筋をくりかえし辿るとき
聞えるものと聞えないもの
見えるものと見えないものとが
ぼくの内側で不器用にからみあい
思いおもいに自己主張しはじめ
踏みしめられた街路のにおいが
ひからびた肌をそっと撫でても
ぼくはふりむくことを知らない
ぼくはおののくことを知らない
過ぎゆくものが過ぎてゆき
わからぬものがわからないまま
行くあてのない空白にさまよいこみ
人ごみのあいだでぼくはまぼろしと対面する

どこを向いてもきみの影はない
きみのやわらかな輪郭がぼくのこころに
とてつもない位置を占めているというのに
きみと居合せても顔色をうかがうばかりで
何ごとも始まるすべはなかったが
ぼくにはまぎれもなく一つの出会いだった

いったいこの世界には
魂の昼寝するひまはある?

なるほど人にはめいめいのやり方があり
興味をそそらぬものには何食わぬ顔で
すましこんでいるのが得策だとしてもなお
きみをこのうえなく煩わしたいときがある
たとえばきみの傍らにはいつも
ぼくがいるんだというふうに
たとえばきみのかけがえのない名前を
空いちめんに落書きするんだというふうに
時は着実に歩をすすめ
ぼくらの思いは確実にしおれてゆく
というてみたとて気持ちが安らぐわけではない
風化した涙がこのうえ風化するなら
目覚めて起き上がるのはむずかしい注文だ
百の朝には百の夜が待ち受けているから
千の記憶には千の躊躇がついてまわるから

日の傾いた裏通りでぼくは耳をすます
すると涸れたアスファルトの息吹にのって
忘れていた馴染みのある節がやってくる

  このこのこの世が極楽ならば
  いっぱい寝坊してずる休みしましょ
  このこのこの世が地獄ならば
  こわいえんまさまとかくれんぼしましょ
  かさかさなるのはなんのおと
  はらはらするのはだれのせい
  鬼さんどちら
  にっちもさっちも
  鬼さんこちら
  にっちもさっちも

うれしいことばとさびしいことば
やさしい目つきとけわしい目つき
なりふり忘れて行きつ戻りつ
とぎれとぎれの語りに合せて
ぼくらの町はようよう暮れてゆく

家々の明りが行儀よくともりだす時分
ときおり道端までもれてくるのは
食卓で交される気どらない会話だろうか
食卓を囲む暮しから
ひさしく遠ざかっているぼくには
いつも耳新しくまぶしく映るひびきだ
そこには安らぎがあり生気があり
暖かさがあり穏やかさがあり
たよりなさももどかしさも
静けさもすれちがいさえもある
そこで一日が始まり一日が終る
何とありふれて何と神聖なひとときだろう
きみは今宵も食卓へ向かう
だれかの噂して軽い笑みをつくってみたり
あるいはめずらしく押し黙り
神妙に箸をうごかしたり
ぼくには何ひとつ知るよすがはないが
食卓についたきみはひとしれず
胸をなでおろしているのかもしれない

さてきみの思いどおりに事を運ぶのが
きみにとって賢明だとするなら
ぼくの入り込む手だてはどこにあるのだろう
決して感傷をひけらかすつもりはないが
燃え上がる忍耐で身を固めることなど
ぼくにはできない相談だ
ぼくはきみを思い浮べる
ぼくのからだが早く朽ちてくれるなら
これほどありがたいことはない
しかしわが身をもてあそぶ真似はよそう
目の前が後悔にかすむよりは
目をつむり仄暗い流れに身を委ねる方がいい
耳を澄まし汽車の汽笛を追いかける方がいい

きみと気のおけない時を過ごすのは
ありえないことかもしれないとしても
ぼくの祈る祈りはいつも
とほうもなくひとりよがりだとしても
それでもなお夜の前でとなえてみる
きみはいま心をきらめかせているか
からだは元気にしているか
無理をしていないか
おせっかいだなんて思わないでほしい
ぼくはひんやりする部屋の壁に向かい
いつになく夜明けを迎えるのが億劫に思えて
立ちはだかる見えない扉をたたいている



 詩集『ボストンバッグ』目次

 Copyright (c) Koichi Horiba, 1996